国府台城跡

こうのだいじょうせき

所在地千葉県市川市国府台三丁目
築城年代1477年
築城者太田道灌
主な城主不詳
アクセス京成線「国府台」徒歩15分程
最終散策年月日2006/05/21

1477年、扇谷上杉家家宰の太田道灌は、千葉氏の内紛で赤塚城に入っていた千葉自胤を擁して下総へ侵攻します。
この城はその際に築いたといわれ、その後道灌は境根合戦で千葉孝胤の軍勢を破り、臼井城を損害を伴いながらも陥落させます。
しかし道灌が撤退した後に孝胤側が勢力を盛り返したため、自胤は下総の千葉氏当主に就けずに終わってしまいます。

1538年、関東で勢力を広げようとした小弓公方足利義明は北条氏綱と対立し、里見義堯らと共に国府台城に入ります。
小弓軍は江戸城を発ち江戸川を渡った北条軍と相模台で激突しますが、弟や息子が戦死し、自らも突撃して討たれてしまいます。
義明が討たれたことを知った里見勢は交戦前に退却します。(第一次国府台合戦)

1564年1月4日、里見義弘は上杉謙信の要請で武蔵の太田氏救援に向かうために国府台に入ります。
単独での抗戦が出来ないと考えた千葉氏は北条氏に救援を求め、北条氏綱はそれに応えます。
7日、江戸川を渡った北条軍先陣は突出したため千葉軍との挟撃に失敗して壊滅します。
それを受け北条軍は退却したと見せかけて主力を温存します。
気を良くした里見軍は酒宴を開きますが、翌8日未明に北条軍が国府台の里見軍に奇襲を仕掛けたため里見軍は甚大な被害を出し、義弘自身も遅れて到着した酒井胤治に救出されて何とか退却しました。(第二次国府台合戦)
その後北条氏は房総にも大きな影響力を持つようになり、一方の里見氏はしばらくの間大きく勢力を後退させることになります。

難易度 1 里見公園から少し奥に進むだけです。

満足度 3 遺構は良好とは言えないようですが、雰囲気は感じられ、城跡内の史跡もあります。

遠景。城跡南側からの遠景。
里見公園。城跡南の里見公園。
城跡。里見公園から城跡を散策できます。
しかし遺構はかなり改変されているようです。
里見軍将兵供養費。里見軍将兵供養費。
第二次国府台合戦での里見軍戦死者を
供養するためのものです。
夜鳴き石。夜鳴き石
供養碑付近の石です。
第二次国府台合戦にまつわる伝説がありますが
詳細は不明のようです。
説明板。明石古墳の石棺。
古墳は土塁に使用され、
石棺はむき出しながらも保存されています。

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